2006年01月07日

社会の前提条件

病院から乳児が連れ去られるという事件が起きました(Googleの検索結果)。

ご両親のお気持ちは察するにあまりありますが、それは敢えて置いておき、以前も何かの事件のときに思った同じことを書き留めておきたいと思います。
それは、社会の前提条件が変化してしまったのだよな、ということです。

◇◆◇

昨日の日経夕刊には、「遅れる病院の防犯対策」というサブ見出しがあるのですが、それは今まで病院では防犯対策があまり必要とされていなかったということではないでしょうか。
「今まで」というのがいつまでだったか、それはきわめて曖昧ですが。

学校の防犯対策という話が大きく話題になったのは、大阪池田小の事件だったと記憶しています。あのときも、「学校に乱入して不特定多数の子供を傷つける人間がいる世の中」ということを想定していなかったのだよな、というようなことを思いました。

「やろうと思えばできる悪事」はたくさんありますが、それを実行する人間が少なければ、予防措置を講じるコスト(必ずしも金銭的な意味だけではなく、「こんなことまでやらなきゃなのか」というマイナス気分なども含め)とのバランスで対策をとらないことも社会全体の選択肢の1つ。
というか、予防措置のほとんどはそういうものですね(マンションの耐震基準の話を思い出します)。

けれども、今の社会というのは「やろうと思えばできる悪事」を実行しやすくなっているのかもしれません。とっさに思いつく理由は、陳腐ではありますが■1/8補足:今回の事件や、最近の誘拐、学校乱入などを念頭に置いています■
・地域社会という縛りの力が弱くなった
・自動車が普及して道路網が発達したことで「密室での移動」が簡単になった
ですね。
けれど、何かそれだけでないような気がしてなりません。
この世から「他人を傷つける行為」が消えることはないでしょうが、悪人であっても子供や老人には危害を加えないという意地を持っている者がほとんど、という世の中は、無理なのかなぁ。

◇◆◇

考えていたら、次々に連想が広がって収拾がつかなくなったので、自分が考えるネタとしてちょっとメモしておきます...
・藤沢周平の「鬼平犯科帳」には、盗賊としての矜持として「貧乏人や弱い者からは盗まない」悪人が登場する。
・山本夏彦は「金持ちがいて貧乏人がいて、橋の下には乞食がいて、それで初めて世の中である」というようなことを書いていた。
・殺人事件の検挙率が下がっているのは、怨恨による殺人のように「被害者と加害者の間に濃い人間関係が存在する」事件の割合が低下しているからだと聞いたことがある。

その他の連想
・マンションの耐震基準も、「絶対倒れない」ための数値じゃない。
・堤防も「xx年に1回の大雨でも決壊しない」が基準で、世の中が豊かになる(使える税金が増える?)とxxの数値が大きくなっていく。


posted by つきっつ at 11:24| Comment(2) | TrackBack(0) | ニュースウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私はそれをよく「いろんなことの敷居が低くなった」という風に感じます。そいでそれは「分相応」という言葉が死んだことに絡んでるなあと。
個人的には「分相応」っていい言葉だと思うんですよ。民主主義だろうがアナーキズムだろうが、いかなる社会にも人が一人一人違う以上は生憎と「分相応」はあるもんで。
Posted by acoyo at 2006年01月07日 14:49
acoyoさん、こんばんは
そうですね、「抑止力」がないというか。

「分相応」と共に「世間」も死んだかもしれません。「社会」はあるらしいんですが。

ううう、考えていたらまたも連想が広がっていく・・・
Posted by つきっつ at 2006年01月08日 01:50
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