で、昨日あたりから頭に浮かぶのが、中学生か高校生のときに読んだ禅に関する本の中に出てきた話です。
正確を期すために、記憶ではなく「無門関」というサイト(こちら)から引用させていただきます。
ある僧が和尚に聞いた。「どうか尊い言葉をください」。和尚は「朝飯は食ったか?」とたずねた。僧は「食べました」と答えた。和尚は「それでは茶碗を洗っておきなさい」と言った。僧はその瞬間に悟った。禅宗では「不立文字」つまりコトバで説明しないということが尊ばれるので、この話の「意味」を私がどのように考えているかを書くのは、いや書こうとすることは、この話が教えてくれるものから離れてしまうと思うのですが、ま、「やるべきことを淡々とやるだけ」というのがいかに難しいか、それを感じる日々です。
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ちなみに中学生のガキがなんで禅の本なんかを読んでいたかというと、修学旅行で京都に行ったときに聞いたお坊さんの話がおもしろかったからですね。
これがきっかけで、禅問答の本を買ってみたり、座禅を組んでみたり、「将来の目標は、坊さんのように悟った状態で俗っぽく生きることだ」などとうそぶいてみたり、と、まぁ考えてみればずいぶんと影響が大きかったなぁ。