2004年12月28日

恋愛に似たもの(小松左京の「果しなき流れの果に」を思い出して)

小松左京というSF作家がいらっしゃいまして、彼が「SFで純文学を書くぞ」と気合いを入れて書いた(という話を聞いて「ふーん」と思い、読んでみた)「果しなき流れの果に」という作品があります。

高校生ぐらいのときに読んで、正直なところ「たいしたことない」というのが感想で(けれど評価は高いので、たぶんその頃の自分が未熟だったのだと思います)、筋もあらかた忘れてしまったのですが、終わりのほうに印象的なシーンがあります(ネタバレというほどのものではありませんが、これから読もうと決めている方は読み終わってからご覧いただいてもいいかなと思います)。

たしか、雪山に登った男性2名(友人同士)と、その片方の恋人の女性が登場する話で、男性2名はタイムスリップして、恋人がいないほうの男性が何十年後かに戻ってくる...書いていて非常に不安になるくらい記憶があいまいなのですが、肝心なのはその後でして...

老人といってよいぐらいの年齢になったその女性はひとりで暮らしているのですが、いつの間にか同年配の男性がいっしょに暮らし始めていることに近所の人は気が付きます。男性は記憶喪失のようです。ふたりはとても仲がよい感じで、縁側でお茶を飲んだりしています。

ある日、おじいさんが交番に現れ、「ばあさんが死にました」と告げます。家で静かに息を引き取ったのです。おじいさんは、「彼女は、私のことを昔いなくなった恋人だと思っていたようです。私は、その恋人に近い存在だと思うのですが、その恋人自身ではないと思うのです」というようなことを言うのです。

切ないなぁ。
と、オクテだった(男女の機微などにはとっても疎かった)私が思ったはずはないのですが、なぜか20年以上たっても覚えています。

「この人だ」と思っているけれど、少しずれている。思われているほうはそのことに気付いている。けれども「キミが本当に求めているのはボクじゃないよ」なんて言ったりしない。黙っている。
付き合っていてもそういう状況ってあるよなぁ、と思うのでした。

でも、それでも仲良くいっしょに暮らして幸せそうに縁側でお茶を飲むことはできるんですよね。


posted by つきっつ at 17:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・映画・音楽・アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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