2004年12月30日

「海の上のピアニスト」−−ピアノとピンボール

「今さら」ですが、DVDで見てみました。

引き込まれるシーンもあり、終わり近くの長ぜりふは印象的でしたが、全体として「こういう感じ」というのが少しはっきりせず、自分としては「"映画としては" やや中途半端で惜しい」という感想を持ちました。
特に最初のうちは、コミカルな感じ(というか、それを狙っているような作り)と人情路線のような感じの混ざり方が不自然に思え、映画の世界に入っていけませんでした。
最後の方が深刻なので、重くなりすぎないようにするための工夫だったのかもしれませんが、軽さと重さがうまく混ざり合うのではなく、不統一感が意識される(私には)結果になってしまったようです。

けれど、長ぜりふで語られる「かぎりがない」の話は興味深かったです。
「鍵盤にはかぎりがあるが、それを弾く人間のほうにはかぎりがない、そこがよいのだ」というのは(セリフの趣旨を正確に伝えているかどうかわかりませんが)、村上春樹の「1973年のピンボール」を思い出させます。
「1973年のピンボール」には、ピンボールの目的は自己表現ではないという記述(「ボーナス・ライト」という本からの引用として)が出てきますが、この映画の主人公にとってのピアノは、限られた数の鍵盤という限定された世界の中で、無限の自分を表現できる手段だったようです。

映画としては「すばらしい!」というほどではありませんでしたが、「かぎりのある鍵盤、かぎりのない人間」という点は、とても大きな収穫でした。


posted by つきっつ at 13:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 本・映画・音楽・アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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