2005年01月02日

「文化大革命」の簡単な個人的イメージ−−記事へのフォローとして

矢作俊彦の 「ららら科學の子」を簡単に紹介した記事の中で、「文化大革命がなんだったのかというのは、 ごく大ざっぱにでも知っておいた方がよさそう」と書いたのですが、では自分なりの「大ざっぱ」を披露すべきでは?と気になっていたので、 簡単に書きます。

中国は共産主義国家です。一応。
一応というのは、最近は実質的に「共産党一党支配による資本主義国家」になってきたからですが、ある時期はもっと共産主義を前面に掲げて 「これを推進するぞ」と頑張っていました。

その推進者の中で英雄だった人が毛沢東ですが、彼はある時期から「文化大革命」というのを始めました。 中国で使われている漢字は略字のようなもの(簡体字)になっていますが、これらはその時期に変更されたものです。■追記:申し訳ありません。これは正しくないようです。文革は1965年ごろからの運動、毛沢東の指導で「簡化字総表」が発表されたのは1964年とのことです。■
この運動のポイントは「いままでのものはとにかくイカン」だったようだ...というのが僕の漠然とした基本的な理解です。

そして、それが日本に与えた影響はというと、この「文革」を熱烈に支持した人々がいて、彼らは主に「進歩的」=「左翼」だったわけですが、 文革が過激化して暴走するのにつれて、「ほんとに毛沢東は正しいことをやっているのか?」と疑問を持つ人も増えていき、 やがて文革に×が付けられると、それを支持していた人たちの心理的、現実的な立場も微妙に...と、 どのようになったのか具体的にはわからないのですが、「なんか影響があったらしい」と、これまた漠然と理解しています。

映画「 さらば、わが愛〜覇王別姫」を見ると、文化大革命が伝統的文化を「反革命的」の一言で破壊していく様子がよくわかります。
また、1つの思想を絶対的に正しいものと信じると−−というか、信じてもよいと保証され、その「絶対的正しさ」 に基づく行動がなんでも許されるとわかると−−人間がどこまで残酷になれるかも描かれています。実際には、 あの映画を超えることがさんざん行われたのだろうと思います。

「ららら科學の子」との関連で言えば、「共産主義、文化大革命はすばらしいものだ」という考え、憧れが 「アメリカ帝国主義に加担しようとする日本国政府への反抗」とペアで強く存在していた時期があり、けれどもその後、 文革は間違いだったという結論が出てしまった、ということを知っていれば、最低限の線はOKじゃないでしょうか。

あとは、当初の意図からは少しはみ出してしまいますが、「ららら科學の子」を読む準備知識ということで言えば、「日本国政府への...」 というのが日米安保条約やベトナム戦争(というか、主に”アメリカが共産主義を叩くために遠く離れたアジアの国を攻撃する”こと) に反対する学生運動(および市民運動)として現れていた、ということがわかっていればよいのかな、と思います。

その後、ベルリンの壁が崩壊し、レーガンとゴルバチョフが握手をし、多くの共産主義国家はなし崩し的に資本主義に舵を切り、 日本がアメリカべったりになることに反対する人は減り(反対するとしても大学を占拠したり機動隊に石を投げたりはせず)、、、 という時代の流れが何となくわかっていれば本を読む前提知識としては十分かな、と思います。

あぁ、なんだか「ららら科學の子」について追加したくなってきましたが、ここはぐっとガマンです。



posted by つきっつ at 18:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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