2005年05月21日

「親の顔が見たい」は死語か

最近、学生が事件を起こすと校長が出てきて頭を下げるのが当たり前のようになっていますね。
先日、大学生が女子プロレスラーを殴った事件(だったかな)で、学長だか誰かが「今後は指導を強化...」みたいなコメントをしているのを新聞で読んで、思わず「え?」と声を出してしまいました。

まぁ、取材が来たらそのように言うしかないでしょうし、スポーツ選手だったのでなおさら暴力事件は大学全体の問題につながるのでしょう。
けれど、ハタチ前後になって酒の上で人を殴ったことについて、大学側が責任を感じる必要なんて、あまりないんじゃないでしょうか。

まずは本人が「今まで自分が自分をどのように育ててきたか」と振り返るべきですよね。
で、次は親が「育て方に問題がなかったか」と振り返る。
大学、学校が「学問」の場であると同時に人格形成の場でもあるのは確かですが、こんな基本的な倫理観が左右するような行動について責任を問うのは見当違いに思えます。

本人や親にコメントを求めるのは人権上の観点から問題があって、通っている学校や大学の責任者を問い詰めるのはOKだというのは、どういう理屈なのかなぁ。

◇◆◇

これはちょっと微妙な話題なので取り上げるのに勇気を要するのですが、今日は50代の男が「フレッシュな女の子募集。小学生でもOK」というチラシを配り、応募してきた小中学生に売春をさせていたというニュースがありました。

この男はトンデモナイやつです。明白。
買った男たちも鬼畜。

しかし、応募してきた女の子たちに問題がないかといえば、そんなことはないですよね。
たしかに、今の時代の少女たちは昔以上に「性的存在」として認められたがっている、そういう気持ちを煽られている気がします。
子供としての価値を認めてあげればいいのに、とかわいそうになることがあります(このあたりの気持ちは女性固有のものがあるようで、テーマとして大きいので深入りは避けます)。
この事件でも「犠牲者」ではある。けれど、通り魔に遭ったのとは違います。

こんなチラシを見ても売春にまで至ることがないように守ってやるのが親の役割じゃないのかな、と単純に考えます。
怪しい行為に走らない、危ない場所に迷い込まないように、優しく厳しく、シンプルでまっとうな判断ができるように、子供が幸せに生きることができる価値観を...価値観の「タネ」かもしれないけれど...を与えてやるのが親の役割じゃないのかな。

◇◆◇

私が子供の頃は「親の顔が見たい」というコトバをときどき目にし、耳にしました。
昔はもっと多かったでしょう。
今は聞きません。

その変化は「進歩」なのかもしれません。けれど、数か月前にどなたかのブログで「現在の我々は”侮蔑する力”を失っているのではないか」というような話を読んだことを思い出します。
難しい理屈を捨てて、シンプルに悪いものは悪いと言うために(責任を押しつけるためでなく)、ときには勇気を持って「親の顔が見たい」と言ってみてもいいんじゃないか、と思うのでした。

◆なんだか言いたいことが頭の中でどんどん広がってしまい、うまくまとまりませんでした。誤解されるかもと少しドキドキ。この周辺のことは、また機会を見て取り上げたいと思います。◆


posted by つきっつ at 19:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュースウォッチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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