2005年06月11日

テンポラリー共同体(満員電車と右折レーン)

満員電車に乗ることはめったにありません。
首都圏に住んでいますが都内ではなく、そもそも通勤していませんし、友だちが少ないので出かけることもあまりない<いいのか?

でも、昨日は銀座で飲み食いして帰りが終電近くになったら、なかなかの混雑ぶりでした。で、降りる人を通すためにドア付近の人がホームに降りる風景がありますよね。でも、「降りたらまずい!」とばかりに頑張って流れをせき止めちゃう人、いますよね、ときどき。

あと、きのうチト寂しいなと思ったのは、おおかたの人が降りて、さてホームに一時退避していた人が戻ろうとする頃にやっと奥の方からドア近くまでたどり着いたおじいさんと若い女性が、ひたすら無言でぐいぐい人々を押しているようす。
ひとこと「おりまーす」、「ごめんなさいねー、降ろしてくれる?」、「すみませーん」と声をかければ、力を込めて押す必要もなく、いきなりゴリゴリ押される不快感もないのに。
スムーズに乗り降りできて時間も何秒か短くなり、車掌は早くドアを閉めたいといらつくこともなく、運転士はドキドキしながら回復運転のために速度を上げる必要もなく。

「思いやり」ということばを使って「やさしい心」みたいな方向に話を進めたくはなくて、今、このドア付近にいる10人か20人で薄く軽く一時的な協力態勢を組んで、物事をスムーズに進めましょうという、コトバにするととっても大げさだけど、けれどそういう「ほのかな共同体意識」みたいなものがあるといいのにな、と思いました。

◇◆◇

右折レーンでも似たようなことを思います。
右折矢印が出るのを待つ10台ほどの車。先頭の車は間違いなく通過できるので、スタートがゆっくりでも問題ありません。2、3台目も余裕です。
が、のんびりスタートしたり必要以上に車間を空けているクルマがあると、「ちぇ、7台目だったからいつもなら行けるのに、今日はあの4台目のせいで1回分遅れたぜ」という人が出ることがあります。

まぁ安全第一ですし、信号1回分くらいの遅れを気にするなよ、のんびり行こうぜという哲学もあるでしょうけれど、「通行量の多い右折レーンでは電車の車両が連結されているように、スムーズに動く」というのがクルマ社会のメンバーの1つの美学じゃないかなぁとも思うのです。

...という感覚には実は「原体験」がありまして、昔、友人を横に乗せて、彼女の家の地元付近を運転していたとき、右折レーンでちょっともたついたら、「ここの右折は青の時間が短いから、みんなが心をひとつにしていっせいに進まなきゃ」とダメ出しされたのです。
心をひとつにか、なるほどなぁとえらく感心し、すっかりその考えに染まってしまいました。
車間が狭いと自転車が飛び出して急ブレーキ!なんてときに危険なので、あまり電車的でも困りますが、「心をひとつに」というのが面白く、心に残りました。

◇◆◇

満員電車にしろ右折レーンにしろ、その場にたまたま居合わせた人たちが当然のように軽く協力する、1つのテンポラリー共同体をちょこっと作る、そういうことが増えるともっと暮らしやすくなるんじゃないかなぁなどと思ったのでした。
posted by つきっつ at 12:49| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「心を一つに」、いいですね。
全面的に一つになんて、できっこないですが、
誰にも大した負担をかけずに、
ちょっとした気配りで達成できる目的のために、
ちょっとだけ一致団結するというのは、
気持ちいいもんです。
Posted by tak at 2005年06月11日 21:30
このような「テンポラリで小さく軽い社会」を瞬時に作る習性というのは、バックグラウンドの「大きな社会」が安定していて、みんなが暗黙のうちにそれを信頼している→目の前の人を信頼できる、協力する気になれる、というのがあるのかな、今はそれが危ういから...などということもチラリ、ぼんやりと考えるのですが、話が大きくなりそうなので触れませんでした。ちょこっとメモ...

(「心を1つに」と書いていましたが、takさんの「一つに」を見て、あ、「1」じゃないよなと思い、少し考えて「ひとつ」に変更しました。)
Posted by つきっつ at 2005年06月12日 11:03
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