2005年10月12日

不定期継続ネタ---たばこ

喫煙、禁煙、嫌煙などにからむ話は、多くの人が(自分も)興奮してしまって、話がいつも同じようなところをグルグル回ってしまいがちなのですが、先ほどとても迫力のある記事を知ったので、ご紹介します。

迫力があると言っても、声高に嫌煙を叫ぶとかではなく、その記事を紹介してくださっている(私がときどきチェックしている)松岡美樹さんの「すちゃらかな日常」の記事のタイトル「地獄は、それを見た人間でなければ語れない」(こちら)どおり、「地獄」の迫力です。
地獄を見てきた者として、たとえ嫌われても自分の周囲の人にはタバコを吸わせないという決意(しかし肩に力が入っていない)が、静かな文からじわっと伝わってきます。

「あざけり先生 台風きどり」さんの「禁煙ファシズム発動(大事な人に押し付ける)

コメント欄には、例によって喫煙擁護と嫌煙推進の方たちが興奮している書き込みもありますが、興味深い話やサイト紹介もありました。
・網羅的で考えるヒントになりそうな「喫煙者を救え!」とか(この方の考えにすっかり同調、というのではないのですが)、
・山形浩生さんの「メディアリテラシーの練習問題;室井尚の奇妙な反・嫌煙運動プロパガンダ論」とか(室井さんという人が書いた書評への批判として書かれており、そして山形さんは激しい人なので、ちょっと引いちゃうかもしれませんが)。

◇◆◇

私は(以前にも書きましたが)、
・タバコは、個人の健康にとってマイナスであるだけでなく、社会全体にとっても、医療費を増やし、火事を増やし、街を汚し...と、「総合的に見てマイナス」の存在であると思っています。
・でも、それは喫煙者が「悪人」であることは意味しないと承知しています。
というのが基本で、ここまでは自分の中で比較的安定しているつもりです。

けれど、次の段階が難しい。
・喫煙者を責めるタイプの嫌煙活動は嫌い
・しかし、「タバコはよくない」という話になると非論理的な反論を始める喫煙者があまりに多いので、そういう人には自分も感情的に向かっていってしまうなぁ...
なのです。

自分がこの話で感情的になりやすい原因はいくつかありそうなのですが、
・非論理的
・専門家の知見、統計を無視
・理屈以外で出した結論にむりやり理屈をつけようとする(あ、これは「非論理的」と同じかな)
などの態度にいらつく、という部分がかなり大きい気がしています。

なにより、いちばん根本的な部分として、ニコチンが中毒性の物質であり、「タバコを吸ったときの快感」が「禁断症状を起こしていた身体にニコチンを供給したことによる快感(脳にニコチンが届く速さが他の薬物に比べてダントツに速いんだそうです)」だということを認めない、という態度が一番イライラします。
物質的、化学的な作用が自分の身体の中で起きているのに、それを「気持ち」とか「精神」で解説して、最後には「吸わない人にはわからない」と片づける。
そして、そういう態度が覚醒剤など他の中毒患者と同じであることから目を背ける...

その視点から、山形さんが室井さん批判の最後に
・リスクを伴う活動であると認識せよ
・身体的な依存症が発生してやめられなくなる物質であると認めよ
・リスクを背負っても吸いたいのだと言え
とおっしゃっているのに共感します。

で...うぅぅ...

はぁー、やっぱりうまくまとまらなかった。
このテーマを軽やかに扱えるようになったら、心と頭が少し進歩したって証かもしれません...
posted by つきっつ at 01:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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