2005年10月22日

映画の季節?

「芸術の秋」なんて、最近は誰も言わなくなった気がしますが、それでも秋になると力の入った展覧会の企画が増えるのは毎年同じ。映画も、ちょっとチェックしてみたら気になるものがいくつか。

先日メモした「理想の恋人」のほかにも、
ランド・オブ・プレンティ
ドア・イン・ザ・フロア
世界
空中庭園
が気になっています。最後のやつは邦画。

まぁ、Webを見ると、こう...なんか恥ずかしくなって見に行くのをためらっちゃうような宣伝文句が書かれていたりもするんですが(ひねくれ者)、ま、素直に見に行ってみようかな、と。

◇◆◇

高校生、浪人の頃は、映画を見たいとか実際に見に行くときの気持ちはマジメというか切実というか、「娯楽」で片づけられない要素があり、何か---とても曖昧で自分にもさっぱりわかっていないもの---を求めて行っていたと思います。

働きだしたからなのか歳をとったからなのか、今は毎日の生活、労働のほうが現実で本物で、映画は現実から離れた本物じゃない世界で、そこに息抜きとか癒しとかカタルシスとか、そんなものを求めることが増えたような気がします。
そういう人が多いからハリウッド大作映画が繁栄し、それは人間の生活の大事な一側面なんでしょう。

けれど、映画という虚構の中に現実を超えた現実、本物を超えた本物を求めていた(のではないかと思います)思春期の気持ちってのは、あれは大事な情熱だったんじゃないかな。
もちろんハリウッド大作映画の中にだってそれらを求めることはできるでしょうが(と、あわてて付け加える)、やっぱり力点が違うことを感じます。それは、たとえば「ニキータ」とそのハリウッド版「アサシン」の違いに現れている何か。「カサブランカ」に色を付けようという発想に現れる何か。

◇◆◇

ハリウッド大作映画というのはテレビと同様、「向こうがこっちを楽しませてくれる」感じで、いわゆるミニシアター系映画みたいなものは「こっちから何かを求めに行く」感じがします。
そして自分は、前者も楽しみますが、後者を楽しむ心、後者から刺激を受けたときの「なにか交流しているような感覚」を大事にしていきたいと思っています。ハリウッド映画とは「交流」できないんですよ。「接待を受ける」感じで。
いや、もちろん両者の間にはっきりした線を引くことは不可能ですが、リモコンを押して手軽にテレビを見ているだけでなく、展覧会を見に出かけて7時間歩き回るような気持ちを大事にしたい。

うーん、なんか妙なことを力説しているかしらん。でも、これは自分にとってかなり大事なことだと感じています。
posted by つきっつ at 15:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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