2005年11月09日

勢いよりも大事なもの

acoyoさんにいただいたコメント(こちら)を読んで考えました。
とは言っても深く考えていなくて、思いつき2点を忘れないうちに書いておく、というレベルなんですが、1つは「男(もしくは強者)の弱点」、もう1つは「精密に考える」ということ。

「男もしくは強者の弱点」というのは、
でもね、「差別」特に「男女差別」の問題は、私にとっても日夜直面している問題なんですよ。被害者意識と言われても現実にあるんですよ。
これって、その立場に置かれていない人間にとっては、永遠に実感として理解することができないものだよな、と。
まぁそんなことはすべての「立場」について言えることなんですが、身近な人の立場について「自分はこの人じゃないから、わかってないんだよな」という認識と、「自分は男だから女の立場がわかってないんだよな」という認識では、後者の方が「甘い」というかなんというか「わからなくてよい」と思いがちのような気が。

◇◆◇

そして「精密に考える」というのは、
何故ってね、それって一部の暴走者でなく、結局、「女性一般」を指して言われてる場合が多いんですよ。
のところ。
我々は(もちろん私も)明瞭で歯切れがよくて断定的で適用範囲が広そうに見える物言い、考えに引っ張られがちで、それは洗脳されて命令どおりに行動するのがある意味ラクで心地よいことに通じると思っています。

でも、そっちに流れず、辛抱強く「差異」に目を向け、精密に考えるってことが大事だと...って、まぁ激しく当たり前のことを書いているわけですが、これがなかなか難しい。
特に日々の仕事に頭、心が占領されていると、「あー、そういう件については、ダレソレの言っているとおりなんじゃないの?」となりがちではないかと。

先日、finalventさんの日記に「この質問者さんの粘りは大変によろしい」というエントリがありました。短いので引用。
これ⇒はてなQ はてな 反日を主張する韓国人と、それに反論する日本人の議論において、なぜ統一の見解が導かれないのでしょうか?合理的に説明してください。

 実践的な哲学というのはこういうものではないのか。
そのはてなQはこちら。決めつけ的な言い回しの回答者が現れても、安易な納得、激しい反論のどちらもせずにねばり強く再質問しています。この態度はたしかに大事だな、と思いました。

◇◆◇

あ、で、自分の中でどうしても解決できていないテーマがあります。acoyoさんが紹介してくださったリンク先に記録されているトンデモ発言を読んでいて思ったことなのですが、「男性を強いもの、女性を弱いものと位置付けて、それぞれが役割を“演じる”ことによって生まれる“論理的、合理的ではないが心地よい関係、色っぽさ”みたいなもの」に対する憧れみたいなものが自分の中にあることは確かで、それは自分もセクシストってことなのかなぁ、と。

これについては、ことばを付け加えれば加えるほど泥沼にはまる予感があるので、ちょっとパスなのですが、この手の話題になると、典型的な意見のどれに対しても違和感を感じて、いつも当惑します。
posted by つきっつ at 11:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
あ、困らせちったなら、ごめんなさい。
実んとこ、その「霊山登ったるぞ」事件のリンクからくだんのトンデモ見つけ、笑いつつもちょっと落ち込んだりもしたんで、泣き言書いて甘えたんです、スイマセン。
でも、それを「トンデモ」だと言ってくれる男の人が(同居人と連れの他にも)ちゃあんと居るんだってことだけで、かなり嬉しくなりました。単純です(大藁)。
ロールプレイングによる性的幻想って点じゃ、オヤジ萌えの私もまた確実にセクシスト。上野千鶴子に総括されます。でも、それでいいと思うんですよ。内的なエロスファンタジーにまで人権要求されてたまるか(藁)。
ただ、それを「男性一般」「女性一般」にストレートに望んでしまうのが危ないんだと思います。私の大好き系列には高倉健もいるけど、それを洒落じゃなくマジで「男はこうあるべき」と大上段に振りかぶっちゃいけないなと。私が好きなタイプがそうなんだってだけの話だし。だから、「女はかくあるべき」と言う点で、私は例のトンデモとは死んでも組しません。でも「男はかくあるべき」と言い放つフェミニストとも絶対に組しません。
 後、このはてなの質問者さん、すごいぞ。いやあ、見習いたい。
 つうことで、他にもこの件で記事にしてくれた人が居たんでTB記事用意中。ううん、炎上するかなあ。いや、炎上するほどアクセス来ないから平気か。長々どもでした。
Posted by acoyo at 2005年11月09日 16:21
いえ、困ったなんてことはないっす。

あのようなトンデモ発言を見ると、人間が思想を操っているのか、思想に人間が乗っ取られているのか、わからなくなります。
乗っ取られているのではなく、自己を保つために何かを強く信じ込むことが必要なんだろうか、などとも思います。

阿佐田哲也の小説の中で、「何か1つを信じ込むのも危険だが、何も信じないでは生きていけない」みたいなことばがあったと記憶していますが、そんなことをふと思い出しました。
Posted by つきっつ at 2005年11月11日 10:33
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