![]() | 新麻雀放浪記―申年生まれのフレンズ 阿佐田 哲也 文芸春秋 1983-01 by G-Tools |
たとえば仕事がおもしろくなく、上司がイヤな人間で、現在の会社にいても仕事の上での自己実現は望めそうになく、といった状況のとき、家族を養う必要があるという「荷物」がなければ、何のあてもないままに会社を辞めてしまい、その結果として生活がピンチに陥ることもあるでしょう。
「荷物」のために我慢しなければならない状況であれば、仕事に関するモチベーションが一切なくても、自分が働くことによって家族が安全に暮らせるということを支えにし、モチベーションの源泉とすることで、仕事に意味を見出すことができるかもしれません。
この例の場合(仕事を辞めたい状況)では、無理して耐えて何になる?という考えもありますが、資本主義的な論理で合理化が進んでいる世の中で、働き続けるモチベーションを仕事の内部だけに見つけることができる人はそう多くはないのではないかという気がします。
そんなとき、「お荷物」をうまく背負うことができれば、つまり「愛せるお荷物」を持っていれば、それによって仕事に意味を与えることもできるのではないでしょうか。
ま、これは昔から言われている当たり前のことではあると思うのですが、文字面の理解ではなく「感じ取る」には、少なくとも私の場合、ある程度の年齢が必要でした(感じている内容が「荷物のあるありがたさ」なのか「荷物がないつらさ」なのかについては、語らない方がよさそう)。
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そして、この小説の文脈では男性が荷物を背負うという感じですが、そんな場合も実際には相互にうまく荷物になり、荷物を背負っているというケースが多いのかもしれません。
岩波新書の「やさしさの精神病理」に、「絆」という字は「きずな」とも「ほだし」とも読む、そして...という話があるのですが、それを思い出しました。この本はかなりおもしろかったです。
![]() | やさしさの精神病理 大平 健 岩波書店 1995-09 by G-Tools |
そう、「愛」だってお荷物ですからね。人間が背負うものは何だって荷物なんだと思います。
ここらへんも、うっかりすると何書いちゃうかわからない感じ。
そう、しかし、そうですね、どうせ背負うならばステキな荷物を...ですなー