2005年11月19日

殺されることを受け入れる人生

掃除をしながらふと思い出したニュースがあります。
かなり前ですが、たしか保険金詐欺でつかまった夫婦がいて(和歌山カレー事件の夫婦だったかなぁという気も少しするのですが、たしかあれよりも前だったと思います)、そこに居候している人が大量の風邪薬を飲まされていた、という話。

彼には住むところがなく、その夫婦に住まいや食事を世話になっていたのですが、生命保険をかけられ、毎日のように風邪薬を大量に飲まされていた、と記憶しています。

つまるところ「殺人でない殺人」によって保険金を手に入れる、というのが目的だったようなのですが、被害者である男性のコメントは、「世話になっているので逆らえない」というようなものであり、さらに当時はわかったようでわからないと思ったのは、「ほかの人にはわからない気持ち」があるのだ、というような意味の一言でした。

仕事、住まい、食事がなくて野垂れ死にしてしまいそうな我が身を拾ってくれたのだから、その人の利益のために緩慢な死を受け入れることはかまわない、そういうことか、と、表面的には片づけたのですが「人間てのはそういうものなんだろうか」と、心のどこかに引っかかっていたようです。

◇◆◇

しかしまぁ40代も半ばになり、若い頃の挫折とは違う意味のあきらめ感(とコトバにすると少し違うのですが)に浸食されてきて、なんだかその人の気持ちがちょっとわかるかもしれない、とふと思ったのでした。

自分の命が大事でない、という要素が少し。でも、それだけではなく。

うまく書けなくてもどかしいのですが、「そんな死に方、そんな人生ってないだろう」というような当時の割り切れなさが薄らぎ、「そういうのもあるかもな。人間つーやつは、そういうのを受け入れることも珍しくないのかもな」と考えている自分に気付きました。

ま、自分は風邪薬大量服用で病気になるのはイヤですけど。
posted by つきっつ at 12:05| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ありますね。年行くと。諦念というか、だから投げてるってんじゃないんですが、
>「そういうのもあるかもな。人間つーやつは、そういうのを受け入れることも珍しくないのかもな」
って感覚。というか、人間ってものが、昔考えてたよりもっとちゃっちいもので、でも、同時にもっと奥の深い、わけわからんもんだってのが、うっすら見えてきた気がするんです。つて、まだ未熟もんですが。
Posted by acoyo at 2005年11月19日 18:55
>諦念というか、だから投げてるってんじゃないんですが、
そうそう、そうなんです。
でもこれって、ことばや態度に表すと「すねている」とか「覇気がない」とかに映りそうで、それは本意ではなく、というのが最近の「うーん」です。
Posted by つきっつ at 2005年11月20日 13:11
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